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宇宙は無数にあるのか? その6

 マルチバースの存在を予言するのはインフレーション理論だけではありません。宇宙が「この宇宙」だけではないことを示す理論は、宇宙論とは別の分野からも出ています。素粒子論の最先端である「超弦理論」がそれです(「超ひも理論」と呼ばれることもあります)。「自然界の成り立ち」を解明しようとすると、素粒子論と宇宙論がともに深く関わるのは当然です。

 素粒子物理学における現時点での到達点が、ヒッグス粒子の発見によって完成した「標準模型」という理論体系です。相対性理論がほぼアインシュタイン一人の手によって作り上げられたのに対して、この標準模型は世界中の多くの物理学者がさまざまな理論的アイデアを出し、多くの実験によってそれを裏づけながら築き上げられました

 その標準模型では、この自然界には一七種類の素粒子が存在することがわかっています。陽子や中性子などのバリオンを構成するクォークが六種類、レプトンと呼ばれる電子やニュートリノの仲間が六種類、電磁気力、強い力、弱い力を伝えるボソンが四種類、そこに「標準模型の最後のピース」だったヒッグス粒子を加えて一七種類です。

 では、ヒッグス粒子の発見でこの標準模型が完成したことで、「自然界の成り立ちが完全にわかった」といえるのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。まず、ここに「重力」が含まれていないことはすぐにおわかりでしょう。力を伝える素粒子が四種類あるので、それが「四つの力」に対応していると思う人もいるかもしれませんが、そこに重力を伝える「重力子」は入っていません。

 標準模型に含まれる四種類のボゾンは、電磁気力を伝える光子、強い力を伝えるグルーオン、弱い力を伝えるWボゾンとZボゾンの四つです。重力子は、理論的に存在が予言されているだけで、まだ発見はされていません。そもそも標準模型は、重力を除く「三つの力」の働きを解明するのが主目的だったのです。

 しかし、物理学の究極の目的は「四つの力」を統一して同じ理論で説明することですから、その点だけ見ても、標準理論が最終的な答えではないのは明らかでしょう。電磁気力と弱い力はワインバーグ=サラム理論で統一されましたが、そこに強い力を合わせた「大統一理論」もまだ完成していません。

 さらに、それが「物質の根源」だというには、素粒子の種類が多すぎます。たとえば、かつて物質の根源(=素粒子)だと考えられていた「原子」は、元素の種類があまりにも多いことから、「より根源的な素粒子があるはずだ」と考えられるようになりました。それと同様、一七種類の素粒子にも「もっと深い根っこがあるに違いない」と思われているのです。

 また、標準理論には暗黒物質も含まれていません。原子でできた物質の五倍もある物質を脇に置いているのですから、自然界の成り立ちがすべてわかったなどといえるわけがないのです。

 では、標準模型の奥底にはどんな「根っこ」が隠れているのか。それを解明する理論としてもっとも有望視されているのが、超弦理論です。それが解明されれば、暗黒物質も同じ枠組みの中で説明できるでしょう。さらにいえば、超弦理論は重力を加えた「四つの力」を統一する可能性をも秘めています。だからこそ、素粒子物理学の「最先端」にあるといえるわけです。

 超弦理論では、これまで「点」だと考えられていた素粒子が、より根源的には一次元の「弦」でできていると考えます。標準模型に含まれる一七種類の素粒子は質量や電荷やスピン(角運動量)などそれぞれ固有のパラメータを持っていますが、こちらは輪ゴムのように「閉じた弦」と両端のある「開いた弦」の二種類です。

 ただし、それはさまざまなパターンで振動します。ちょうどバイオリンの弦が振動の仕方によって音程や音色を変えるのと同じように、「弦」も振動によって姿が変わる。同じ弦が、電子になったり光子になったりクォークになったりするわけです。

 このアイデアを基本とした理論は、もともと「弦理論」と呼ばれていました。それが「超弦理論」になったのは、「超対称」という対称を含むように拡張されたからです。そうすると、従来の標準模型には含まれない「超対称性粒子」が存在するようになります。超対称性粒子とは、標準模型の素粒子すべてに存在するパートナーのような素粒子のことです。それが存在すれば、素粒子の種類は倍増することになります。

 現在の標準模型では、電子やクォークなど物質を構成する素粒子(フェルミオンといいます)と、力を伝える光子やグルーオンなどのボゾンを別々の理論で説明しています。しかし、もし理論的な予言どおりに超対称性粒子が存在すると、その両者を理論的に区別せずに扱えるようになる。どちらも同じ「弦」という根っこによって、理解できるようになるのです。

 さて、超弦理論の考える「弦」には、私たちの常識を超える性質があります。私たちは縦・横・高さで位置の決まる三次元空間で暮らしていると思っていますが、弦はそうではありません。九次元もしくは一〇次元の空間に存在すると考えられています。それが物質の根源なのですから、私たちの住む世界にはそれだけ多くの次元があるということです。

 これは一体、どういうことでしょうか。次元が一つ多い四次元空間でさえ、私たちにはそんな方向がどこにあるのかわかりません。ところが超弦理論は、そんな余剰次元が六つもあるというのです。しかし、私たちはその余剰次元を実感することができません。

 この超弦理論からは、十数年前に「膜宇宙(ブレーン宇宙)」という考え方が登場しました。その理論によれば、私たちの宇宙は三次元の「膜」のようなもので、それが九次元か一〇次元まである空間に存在しています。

 膜宇宙論では、電子やクォークや光子などの素粒子は「開いた弦」であり、その端が三次元の膜にくっついていると考えます。位置を固定されているわけではないので、三次元空間の中ではすべるように移動することができますが、余剰次元の方向には出ていくことができません。ただし、その中に一つだけ例外があります。それは、重力を伝える重力子です。

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図:膜宇宙のイメージ

 この重力子は「閉じた弦」になっており、端が三次元の膜にくっついていないので、図のように余剰次元とのあいだで出入りすることができます。だとすれば、重力がほかの「三つの力」と比べて桁外れに弱いことも説明がつくでしょう。電磁気力、強い力、弱い力を伝える素粒子は三次元の膜に閉じ込められているのに対して、重力は余剰次元のほうにも漏れ出します。

 このように重力はもともと高い次元での力ですが、三次元の膜宇宙ではアインシュタインの重力場の式で、ほぼ記述されることを京都大学の白水徹也准教授らが示しました。ほぼというのは、膜宇宙での重力の方程式には、アインシュタインの重力場の式に「補正項」が付け加わっているからです。この補正項は小さな値なので、普通は、膜宇宙でも、実質アインシュタインの重力場の式を用いて構いません。ただし、宇宙のきわめて初期を考えると違いが出てきます。そして、もし、その違いが観測でわかるなら、私たちの住んでいる宇宙が膜宇宙である証拠となるかもしれません。

 では、私たちが住む膜宇宙の「外側」は一体どのような空間になっているのでしょうか。それを数学的に示したのが、「カラビ=ヤオ空間」と呼ばれる複雑な構造です。数式で表現する以外に説明しようのない空間ですが、このカラビ=ヤオ空間につながっている膜宇宙は私たちの三次元宇宙だけではありません。その内部空間のほかのところにも、別の膜宇宙がつながっていると考えられているのです。

 アメリカの素粒子研究者レオナルド・サスキンドによれば、カラビ=ヤオ空間につながる複数の膜宇宙の中には、私たちの膜宇宙と成り立ちの異なるものがたくさん存在します。電磁気力や素粒子の質量などの物理パラメータが違うだけではありません。次元も三つとはかぎらないので、「四次元膜宇宙」や「五次元膜宇宙」なども数学的には存在が可能だと言います。

 しかも、その多様な宇宙の可能性は、一〇の二〇〇乗もあるというのですから、驚かざるを得ません。それが、超弦理論から予想される「マルチバース」なのです。

 超弦理論でのマルチバースは、互いの宇宙がまったく独立で因果関係も持てない膜宇宙から構成されているわけではありません。重力は膜宇宙から漏れ出します。つまり重力の波、重力波は隣の膜宇宙に届くのです。もし隣の膜宇宙にも知的生命体が存在するなら重力波通信で、互いの宇宙を知らせ合うこともできるかもしれません。
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宇宙は無数にあるのか? その5

 第二のインフレーション=宇宙の加速膨張が、ビッグバンを起こした「第一のインフレーション」と同じ現象なのかどうかは、まだわかりません。膨張してもエネルギーが薄まらないことから、そこに何らかの意味で真空のエネルギーが関わっていることは間違いないと考えられますが、その量が理論的な計算より124桁も小さいことはすでにお話ししたとおりです。この謎が解けなければ、ダークエネルギーの正体もわかりません。

 スティーブン・ワインバーグは、この謎を「人間原理」で説明しようとしました。人間原理は1960年代にロバート・ディッケが、さらに1970年代にはブランドン・カーターが主張しました。

 ディッケとカーターの人間原理は、「ユニバース=一つの宇宙」を前提にしたものでした。宇宙は人間という知的生命体によって観測されているのだから、人間を生むのに都合のよい条件になっているのが当然であるということです。もしこの宇宙が人間を生まない条件で作られていれば、誰も宇宙を観測しないので、宇宙の初期条件や物理パラメータが問題になることもありません。要するに、自らを観測する存在が生まれるように宇宙ができているのは、奇跡のような偶然にすぎないということです。

 しかし、ワインバーグの人間原理はその二人と中身が少し違います。ワインバーグは、1989年、真空のエネルギーについて次のような考え方を発表しました。これは、宇宙に残った真空のエネルギーが小さすぎる問題や、ダークエネルギーの偶然性問題に答える一つの仮説にもなっています。
「宇宙は無数に存在し、それぞれが異なった真空のエネルギー密度を持っている。その中でも、知的生命体が生まれる宇宙のみ認識される。現在の値より大きな値を持つ宇宙では天体の形成が進まず、知的生命体も生まれない。認識される宇宙は今観測されている程度の宇宙のみである」
ワインバーグが提示したのは、このような考え方でした。

 ここで「宇宙は無数に存在」すると言っているのは、私たちの住む宇宙が無限に広がっているという意味ではありません。「この宇宙」のほかにも、無数の宇宙が存在するという意味です。そして、それぞれの宇宙にはそれぞれ真空のエネルギー密度が決まっており、「どの宇宙も同じ」ではない。その無数の宇宙の中には天体の形成が進む宇宙もあり、そこでは知的生命体が生まれる。したがって、知的生命体に「観測される宇宙」が、その知的生命体を生むのに都合よく見えるのは当たり前です。

 ただし、このような考え方はそれ以前からありました。真空のエネルギー以外にも、わずかに数値が違うだけで「人間の生まれない宇宙」ができあがる物理定数はいくつもあり、それは基本法則から導くことができません。偶然、人間が生まれるように微調整されているとしか思えないのです。しかしそれも、この宇宙が無数にある宇宙の一つにすぎず、無数の宇宙はそれぞれ物理定数が異なると考えれば説明はつきます。

 ワインバーグの主張した人間原理は、「宇宙は無数に存在する」と語っているとおり、彼は「ユニバース」を前提にしてはいません。「ユニ=単一の」宇宙ではなく、「マルチ=多数の」宇宙を前提にしているのです。

 さまざまな条件で作られた宇宙が無数に存在するならば、その中に一つぐらい、人間のような知的生命体を生む宇宙があっても不思議ではありません。その点で、ワインバーグの人間原理は誰にでもすんなりと飲み込みやすい中身になっているのです。

 思いがけずマルチバースを予言したインフレーション理論とはいえ、話はそれで終わりではありません。それはそうでしょう。なにしろ私たちに観測できるのは私たちの宇宙だけです(その宇宙にも「地平線」の向こう側に観測できない領域があります)から、「ほかにもたくさん宇宙がある」と言われてもにわかには信じられません。

 本当に、私たちの「この宇宙」以外にも無数の宇宙が存在するのか。その「マルチバース」が存在するとすれば、それはどこでどのように広がっているのか。それを明らかにしなければ、ワインバーグの話にも説得力を感じられないのです。

 宇宙は「ユニ」なのか「マルチ」なのかを観測によってたしかめることはできません。もし私たちの知っている宇宙とは様子の異なる「宇宙」が観測によって発見されたとしたら、それは決して「別の宇宙」ではなく、「この宇宙」の中にあるからです。したがって観測という手段では、「ユニバース」という結論しか出ないでしょう。

 しかし理論的な研究は話が別です。理論物理学は観測のできていない宇宙の真実を明らかにしてきました。たとえばビッグバンやヒッグス粒子は、観測や実験によってその事実が明らかになる前に、理論的に予言されていたものです。言うまでもなく、インフレーション理論もそんな仕事の一つにほかなりません。

 インフレーション理論は、私たちが暮らす「この宇宙」の謎を解明する理論でした。とくに前回のブログで「観測できる範囲の宇宙は平坦になっている」として述べていた「平坦性問題」に関しては、この理論によって、人間原理に頼ることなく理解することが可能になったのです。

 そんな理論が「ほかの宇宙」の存在を予言すると言われると、何となく違和感を抱く人が多いとは思います。しかし、インフレーション理論を突き詰めていくと宇宙がたくさんできてしまう「宇宙の多重発生」という結論に達します。
 
 インフレーションは、なぜ宇宙を「増やす」のでしょうか。そこでまず重要なのは、インフレーションが宇宙の全域で必ずしも均一には起きないということです。真空の相転移は、宇宙全体の中で、ある領域だけがより速く指数関数的に急膨張をすることもある。そう考えた場合、実に奇妙な現象が起こることにないます。

 たとえば、ある小さな領域の周囲で先にインフレーションが起きたとしましょう。これからインフレーションを起こす領域をA、その周囲をBとします。さて、Aを取り囲むBの領域はインフレーションを終えて「火の玉」になりました。そこでは、すでに真空のエネルギーが消えて熱エネルギーに変換しています。

 では、そのBという領域からAを観察すると、どう見えるのでしょうか。周囲からはAの領域が光速で収縮しているように見えます。もちろんAの領域がインフレーションを起こさないなら、それで問題はありません。しかし実際には、その領域も周囲のBから少し遅れてインフレーションを起こしています。周囲からは収縮して消えていくように見えるのに、急膨張している。外側は縮んでいて、もう周囲に広がるスペースはないはずなのに、中の体積は倍々ゲームで増えているのですから、実に矛盾したパラドックスです。

 この矛盾を説明するためにたどり着いた結論が「子宇宙」の発生です。先にインフレーションを終えたBの領域が「親」だとすれば、収縮しながら広がっている不思議なAの領域は「子」。まさに親から子が生まれるように、宇宙が次々と増殖すると考えると、このパラドックスが解消するのです。

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図:宇宙の多重発生のイメージ

 ここでは、先ほどのAを「偽真空」、Bを「真真空」と呼びましょう。インフレーションを起こして大きく膨張した真真空は、狭い部屋の中で大きく膨らんだ風船のようなイメージです。その風船がつながった空間が、「私たちの宇宙」だと思ってください。真真空に取り囲まれた偽真空は、風船に押し潰されるようにして、表面積がゼロに近づいていきます。「私たちの宇宙」から見ると、そのように見えるのです。

 ところがその偽真空も実はインフレーションを起こしているので、表面積は縮んでいるのに、体積はどんどん増えている。この奇妙な現象は、偽真空が「私たちの宇宙」とは別の宇宙になると考えれば説明がつきます。

 私たちの宇宙が「親宇宙」だとすれば、偽真空のほうは「子宇宙」ということになるでしょう。この親宇宙と子宇宙は、「ワームホール」と呼ばれる虫食い穴のような小さな空間でつながっています。親宇宙からは、このワームホールがブラックホールとして観測されるのですが、実はその向こうで偽真空が急膨張をしているのです。

 さらに、その子宇宙の中でも「真真空」と「偽真空」が生まれ、ワームホールができるでしょう。その向こうには孫宇宙が生まれ、その中でも「真真空」と「偽真空」が……という具合に、宇宙が無数に生まれます。そして、それぞれの宇宙をつないでいたワームホールはいずれ引きちぎれてしまいます。すると、あたかも母と子のヘソの緒が切れたように、お互いに観測することのできない独立した宇宙がたくさん存在することになるのです。

 今は仮に最初の親宇宙を「私たちの宇宙」としましたが、現実に私たちが住んでいる宇宙が「子宇宙」なのか「孫宇宙」なのか「ひ孫宇宙」なのかは、もちろんわかりません。どれなのかはわからないけれど、「この宇宙」はそうやって誕生した無数の宇宙の一つにすぎないのです。それが、インフレーション理論がもたらした結論なのです。

 佐藤やグースが1982年に発表した後、今日にいたるまで、インフレーション理論にはさまざまなバリエーションが生まれました。マルチバースが生まれる仕組みについても、さまざまな解釈があります。
 
たとえば、アレキサンダー・ビレンケン(は、「ポケット・ユニバース」という宇宙モデルを提唱しました。このモデルには、「ワームホール」が登場しません。そこでは、「真真空」と呼んだ部分が泡のようにあちこちに生じます。その泡同士が十分に離れていれば、合体することなく、それぞれ別々に膨張を続けるでしょう。「親」も「子」もなく、最初から独立した「ポケット・ユニバース」として、多くの宇宙がインフレーションによって生まれるのです。

 それ以外にも、インフレーションによって宇宙が多重発生する仕組みについては、いろいろな見解があり、たしかなことはわかっていません。しかしそれらの見解は、少なくとも宇宙が「ユニ」ではなく「マルチ」であることに関しては一致しています。「マルチバース」という考え方自体は、決して突飛なものではなくなっているのです。

宇宙は無数にあるのか? その4

 話をインフレーション理論に戻しましょう。この理論は宇宙がビッグバンを起こした理由を説明しました。真空の相転移による「倍々ゲーム」の急膨張が終わったところで放出された膨大なエネルギーによって、宇宙は「火の玉」になったのです。

 しかし、インフレーション理論が解いた宇宙の謎はそれだけではありません。宇宙が完全に均質な空間ではなく、星や銀河といった構造の「タネ」になるデコボコが生まれた理由を明らかにしたのも、この理論です。

 それ以前のビッグバン理論でも、宇宙がまだごく小さかったときに密度の濃淡(ムラ)があり、その濃い部分を中心にガスが固まることで星や銀河などの構造ができたと考えられてはいました。そのムラのことを「密度ゆらぎ」といいます。

 しかしガモフらの理論では、宇宙全体の構造を決めるほど大きな密度ゆらぎができる理由がわかりませんでした。全体の構造を作るには「事象の地平線」を超える大きなスケールの密度ゆらぎが必要ですが、ビッグバン理論では小さなゆらぎしかできないのです。 初期宇宙はこの地平線距離が短く、空間全体が因果関係を持つことができませんでした。全体の構造を作るほど大きな密度ゆらぎを作れないのも、そのためです。

 物質密度のムラを「山」だと思えば、イメージはわかるでしょう。平らなところに山を作るには、どこかから物質を持ってこなければいけません。しかし、宇宙最高速の光すら連絡が取れない場所から何かを持ってくることは不可能です。だから、地平線の手前までの小さな山しか作ることができないのです。この密度ゆらぎの問題は、別の問題とも表裏一体でした。それは、「一様性問題」と呼ばれる謎です。

 ビッグバンの「化石」であるCMBを調べてみると、宇宙全体がほぼ一様の構造になっていることがわかりました。たとえば私たちの天の川銀河から1〇〇億光年離れた銀河と、それとは反対方向に1〇〇億光年離れた銀河は、旧来のビッグバン理論では宇宙の始まりから現在にいたるまで、一度たりとも因果関係を持ったことがありません。お互いに、「地平線」の向こう側にいるからです。そんな領域が同じような構造を持っているのは、実に不思議なことでした。インフレーション理論では、これらは宇宙の初め頃に因果関係があったのです。

 インフレーション理論は、この「構造の起源」と「一様性問題」という表裏一体の謎に答えることができました。まず「密度ゆらぎ」の問題は、微小なゆらぎが急速な膨張によって一気に大きく引き伸ばされたと考えれば説明がつきます。つまり現在の私たちが観測できる宇宙は、「地平線」の内側にあった領域が大きく拡大されたものなのです。

 そうだとすれば、観測できる宇宙が「一様」になっているのも当然でしょう。インフレーションの前に「地平線」の内側にあった領域は、因果関係があるので、物質やエネルギーを移動して均一な空間にすることができます。その領域が一気に拡大して私たちの観測している宇宙になったのならば、全体が一様になっているのは不思議でも何でもありません。

 ただし、インフレーションの前に「地平線」の向こうにあった領域がどうなっているかは(観測できないので)不明です。その領域は、私たちが観測している宇宙とはかなり様子が違うでしょう。CMBも一様ではないと考えられます。

 初期宇宙の曲率が大きく正か負の値を取っていたとしても、その一部がインフレーションによって巨大に引き伸ばされれば、そこは平坦に見えます。「地平線」の外側まで観測できれば、(そこが一様ではないのと同じように)大きく曲がっているのかもしれませんが、そこは私たちには観測することができません。だから、観測できる範囲の宇宙は平坦になっているのです。

 宇宙初期に指数関数的な急膨張が起きたとするインフレーション理論は、ビッグバン、密度のゆらぎ、一様性問題等、宇宙をめぐるさまざまな謎を説明しました。では、なぜ、そのような「倍々ゲーム」の膨張ができたのでしょうか。

 本来、エネルギーは空間が広がれば、その分だけ密度が薄まります。それは、物質の密度が薄まるのと何ら変わりありません。エネルギーは質量と同じ(E=mc^2)ですから、どちらも体積が増えれば密度は下がるのです。したがって、空間の体積が二倍になれば、エネルギーの密度は半分になるはずですが、それで「倍々ゲーム」の指数関数的膨張が可能だとは思えません。エネルギー密度が低下すれば、空間を押し広げる力が弱まるからです。

 しかし不思議なことに、真空のエネルギーにはその常識が当てはまりません。真空のエネルギーは体積が増えても決して薄まることはなく、逆に増えていくのです。たとえば宇宙の体積が二倍になれば真空のエネルギーも二倍、体積が1〇〇億倍になれば真空のエネルギーも1〇〇億倍になります。

 「それではエネルギー保存の法則を満たしていないではないか」

 そう思って首をひねる人も多いでしょう。しかし、それが真空のエネルギーの性質であり、だからこそ指数関数的な急膨張が可能になりました。まるで、魔法のような話です。納得いかないのも無理はありません。でもそれは、このように考えれば理解できるでしょう。インフレーションを「落下現象」だとイメージしてください。

 たとえば、太陽のまわりに小さな石ころを置いたとします。石は太陽の重力に引っ張られて(正確にはお互いの重力で引っ張り合って)徐々に速度を増しながら落ちてゆき、最後はすさまじいエネルギーを持って太陽に衝突するでしょう。では、そのエネルギーはどこから来たのでしょうか。

 宇宙はアインシュタイン方程式(つまり重力)によって、小石が落下するように膨張します。ポテンシャルエネルギーがどんどん負の大きな値となり、その分、真空のエネルギーが増してゆく。その真空のエネルギーが、相転移のときに熱エネルギーに転換され、ビッグバンの「火の玉」を生み出したのです。また、真空のエネルギーが増してゆく様子は、ゴムシートを引っ張って広げることをイメージするとわかりやすいかもしれません。シートを引き伸ばせば引き伸ばすほど、ゴムの中の収縮しようとするエネルギーが増加します。

 これと同様、宇宙が重力に引っ張られて膨張すればするほど、その中の真空のエネルギーは収縮しようとして増加します。だから、空間が二倍に膨張すれば真空のエネルギーも二倍、1〇〇億倍になれば1〇〇億倍に増えるわけです。グースは、そんな真空のエネルギーの増大のことを「フリーランチ(タダ飯)」と呼びました。

 放っておけばいくらでもエネルギーが増えるのですから、そう呼びたくなる気持ちもわからなくはありません。宇宙の「始まり」がどのようなものだったかわからないので、真空のエネルギーが本当に「フリーランチ」なのかどうかもわかりませんが、それが「無」から「有」を生み出す「魔法」のようなメカニズムだったことはたしかでしょう。

 そして現在の宇宙には、再び「魔法」がかかっています。宇宙を加速膨張させているダークエネルギーも、やはり薄まることがありません。宇宙が広がれば広がるほど、ダークエネルギーも増えていくのです。その膨張速度はインフレーションほどではありませんが、宇宙というゴムシートが六〇億年ほど前から引っ張られ始めたのは間違いない。だから佐藤はこれを「第二のインフレーション」と呼んでいます。

 宇宙の大構造、銀河団などの「まとまり具合」を表す「Q」の値(10^-5)は、重力の働きでだんだん成長するので「Q」の値も大きくなっていきます。宇宙が始まった頃は、宇宙はきわめて一様で物質密度の濃淡の度合いはほとんどなかったことになりますが、しかしこの濃淡、密度ゆらぎがなければ、私たちの宇宙には銀河団をはじめとする天体は生まれません。

 この密度ゆらぎを作るのはインフレーションの大きな役割です。当然現在の「Q」の値をインフレーション理論は説明しなければなりません。実際、インフレーション理論のなかの数値を調節してやるとうまく現在の「Q」に合わせることもできます。構造形成が進まずに星や銀河が生まれないとか、反対に構造形成が行き過ぎてブラックホールだらけになることを避けて、ちょうど現在観測されているように銀河団など天体がうまく形成されるように理論を作ることができます。

 実はインフレーション理論は私やグース以後、雨後の筍のように、ものすごい数の改良モデルが生まれています。ニューインフレーション、ハイブリッドインフレーション、カオティックインフレーション、ブレーンインフレーション……という具合に数十はあるでしょうか。インフレーション理論は宇宙初期のモデルの標準モデルとなってはいるものの、すべての基本的力を統一する究極の統一理論が未完であり、モデルの細かな点は不明なままなのです。したがって、今は「数値を調節してうまく観測に合うようにしている」段階なのです。


 今までのブログ4回分では「宇宙はユニバース(単一宇宙)ではなくマルチバース(多宇宙)だった!」という本題に入れずに来てしまいました。今月発表された「原始の重力波」の観測結果がいかに素晴らしい出来事であったかを思い知らされました。次回は、ブログ題「宇宙は無数にあるのか?」 にそって マルチバースを述べたいと思います。

宇宙は無数にあるのか? その3

 宇宙インフレーション理論についてブログを書き進めているのですが、今回の観測結果がもたらす影響は大変な大きかったようです。講談社ブルーバックスから出版された『超弦理論入門』の著者である大栗博士は、この発表について自らのブログで次のように述べられています。

 「これを聞いて、私はとてもワクワクした。宇宙の誕生直後の様子がわかるようになっただけでも素晴らしいが、この発見は、自然界の基本法則の探究という物理学の大きなテーマを、次のステージに進めるものでもある。また、私の研究対象である超弦理論とも深いかかわりがある。」
 今回の発見には、一昨年の夏に発表になったヒッグス粒子の発見と共通する部分がある。ヒッグス粒子は、素粒子の間に働く力の性質を説明し、素粒子の質量の起源を明らかにするために、今から50年前に理論物理学者が紙と鉛筆で計算して予言したものだった。そして、一昨年のヒッグス粒子の発見と比較して、
 「理論的予言が長年たって検証されたという点では共通する二つだが、科学史においては、今回の発見が正しければ、ヒッグス粒子の発見よりももっと重大な事件になると思う。いずれも偉大な業績であり、その重要度を比較するなどもってのほかとお叱りを受けるかもしれないが、そのように思う。」
 「今回の発表が正しければ、つい最近まで検証不可能ではないかといわれていたインフレーション理論。その最も重要な予言が確認されたことになります。これは、理論物理学者として大いに勇気付けられることです。BICEP2の発表で幕を開けた初期宇宙や量子重力の効果の実験的研究は、これから大きく発展しそうです。」
 「この観測で検出された偏光が初期宇宙のインフレーションを起源としたものであると確信するには、まだ追試が必要なようです。」

 大栗博士が述べられているように、これらすべての発言に対して、今後の物理学に対する希望が含まれているようです。


 インフレーションやダークエネルギーの理解に欠かせない「真空のエネルギー」という概念は、もともと宇宙論から出たものではありません。これは、素粒子物理学における「力の統一理論」に関わるものです。

 力の統一理論とは、自然界に存在する「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」という四つの力を統一する理論のことで、日常的に人間が体験できる重力と電磁気力に対して、後ろの二つはミクロの世界だけで働く力なのです。「強い力」は原子核の中で陽子と中性子をくっつける働きをする力、「弱い力」は原子核の崩壊を引き起こす力です。

 この四つの力の働きは、それぞれ別々の理論によって解明されてきました。しかし物理学者は、できるだけシンプルな原理や法則で自然界を説明したいと考えますし、それができるはずだという信念を持っています。下の図は統一理論の予想する「力の系統図」をエネルギーレベルで描いた図です。
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 たとえば、今は一つの力として扱われている電磁気力は、かつて「電気力」と「磁気力」という別々の力だと考えられていました。それを理論的に統一したのが、一九世紀の物理学者マクスウェルです。それと同じように、四つの力を一つに統一したい。それが物理学における大きなテーマなのです。それは決して簡単なことではありません。

 たとえばアインシュタインは晩年に電磁気力と重力の統一理論(つまりマクスウェル理論と相対性理論の統一)に挑戦しましたが、それを果たすことはできませんでした。現在も、それは実現していません。

 しかし1967年には、「電磁気力」と「弱い力」を統一する理論が誕生しました。アメリカのスティーブン・ワインバーグとパキスタンのアブドゥス・サラムがほぼ同じ時期に独立に完成させたため、「ワインバーグ=サラム理論」と呼ばれています。
 
 この理論で重要な役割を果たすのが、真空のエネルギーでした。そこにエネルギーがあるからこそ、真空は(水が氷になるような)相転移を起こします。ワインバーグとサラムは、その真空の相転移によって、もともと同じ力だったものが電磁気力と弱い力に分かれたと考えました。真空が高いエネルギー状態にあるときは一致する(同じ方程式で扱える)力が、相転移によって低いエネルギー状態になると別々の働き方をするのです。

 ワインバーグ=サラムの統一理論は、電磁気力と弱い力がエネルギーの高い状態で一致し、エネルギーが低い状態では別々の力になることを示しています。それならば、宇宙初期の高エネルギー状態では実際に二つの力が一致しており、真空の相転移によってエネルギーが下がったときに二つに分かれたのではないのか。

 もし、そうだとすれば、「電弱力」を電磁気力と弱い力に分けた相転移の前にも、もっと高いエネルギー状態のときに相転移が起きた可能性があるはずです。それまでは「強い力」と「電弱力」が一致していたのが、相転移によって二つに分かれた。さらにその前は、今の自然界にある「四つの力」がすべて一致していたのが、相転移によって「重力」とそれ以外の力に分かれたと考えることができるのです。

 佐藤勝彦博士は次のようにいっています。
『私が初期宇宙の指数関数的膨張(インフレーション)という理論にたどり着けたのは、このワインバーグ=サラム理論を素粒子物理学の専門家から教わったことがきっかけでした。教えてくれたのは、後にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士です。その理論を勉強した私は、「真空の相転移」というアイデアを宇宙論に活かそうとしました。ワインバーグとサラムは「高いエネルギー状態では二つの力が一致する」ことを理論的に示しましたが、私はそれが宇宙初期に現実に起きた(真空の相転移によって二つの力が分かれた)と考えた。その前提でアインシュタイン方程式を計算すると、真空のエネルギーが空間を急速に押し広げるという結論が出たのです。』

 宇宙が始まってから、徐々にエネルギーが低下するにしたがって真空が相転移を起こし、まずは重力、次に強い力が枝分かれし、最後の相転移で弱い力と電磁気力が分かれたというシナリオです。

 では、三段階に分かれて起きた真空の相転移のうち、どこでインフレーションが起きたのでしょうか。

 それを考える上で重要なのは、「バリオン数」という概念です。バリオンとは、陽子や中性子のような物質を構成する粒子のことだと思ってもらえばいいでしょう。かつて陽子や中性子は、それ以上は分割できない素粒子だと考えられていました。そこでギリシヤ語で「重い」を意味する「barys」からつけられたのが、バリオンという名前です。しかしその後、バリオンは素粒子ではなく、三つのクォークからなる粒子だとわかりました。

 宇宙でバリオンが作られたのは、加速器ではまだ到達できていない高いエネルギー状態のときだと考えられます。つまり、強い力が枝分かれした頃にバリオンが生まれた。もしそうだとすれば、インフレーションはバリオン生成の前でなければいけませんから、強い力が分かれた二番目の相転移のときに起きたはずです。

 ところで、二〇一二年にCERNの加速器でヒッグス粒子が検出されたことは、インフレーション理論にとっても朗報でした。ヒッグス粒子は、真空の相転移と深く関わるものだからです。

 そもそもワインバーグ=サラム理論は、「ヒッグス機構」に関する理論を前提にしたものでした(ヒッグス粒子はヒッグス機構から生まれると予言されたもので、この粒子が存在したことでヒッグス機構の正しさが裏づけられました)。さらに、ヒッグス機構は二〇〇八年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士の「自発的対称性の破れ」を下敷きにしています。

 そして、ワインバーグ=サラム理論のいう真空の相転移とは、「ヒッグス場の自発的対称性の破れ」のことにほかなりません。要するに、ヒッグス粒子の発見は「真空の相転移」という概念を裏づけるものだったということです。

 南部博士の「自発的対称性の破れ」は、物理学における真空の概念を大きく変えるものでした。「対称性の破れ」とは、どちらを向いても同じだったものが「方向性」を持つということです。南部理論は、真空でも対称性が破れることを明らかにしました。

 もし真空が「何もないからっぽの状態」であれば、そんなことは起こり得ません。何もないのですから、方向性など決めようがないでしょう。しかし実際には真空もエネルギーを持つ物理的な実体であり、そのエネルギー状態が変わることで対称性が破れます。

 水の温度が下がると氷になるのと同じように、エネルギーが低くなれば真空が相転移を起こすのです。液体の水は分子がバラバラに散らばっているので「対称性」がありますが、氷になると分子の向きが揃って「方向性」が生じます。つまり、相転移によって対称性が自発的に破れてしまう。それと同様、真空もエネルギーが下がって相転移を起こすことで、対称性が破れるのです。

 その真空の相転移を起こすために必要なのが、ヒッグス機構でした。南部理論を素粒子論に応用するには、あるエネルギーを持つ「場」があると考えなければならなかったのです。それがピーター・ヒッグスによって導入された「ヒッグス場」と呼ばれるものです。「場」は、電磁波を伝える「電磁場」のようなものだと思えばいいでしょう。

 では、ヒッグス場が電磁場のようなものだとしたら、発見されたヒッグス粒子は何に相当するのか。あるいは、電磁場における電磁波は、ヒッグス場における何に相当するのでしょうか。実は、ミクロの世界を扱う量子力学では、あらゆる「波」が「粒」の性質を併せ持ち、あらゆる「粒」が「波」の性質を併せ持つと考えます。

 そもそも「量子」とは、「とびとびの値」を意味する概念です。もし光に波の性質しかないのであれば、その強さは連続的に変化するでしょう。ところがミクロのレベルで測定すると、その変化が「とびとびの値」を取っている。ある係数と光の振動数を整数倍した数字にしかならないのです。これは、光に「粒」の性質があるからにほかなりません。その光の粒のことを「光子」といい、いわばこれが電磁波の「最小単位」なのです。

 電磁場に電磁波があるのと同じように、ヒッグス場にも「波」があります。しかしその「波」は「粒」の性質も持っている。つまりヒッグス場における「波」の最小単位が、ヒッグス粒子なのです。だから、ヒッグス粒子が発見されれば、真空の相転移を起こすヒッグス場が存在することの間接証拠になる。

 今回CERNの加速器で検出されたヒッグス粒子は、宇宙初期でいえば「三番目の相転移」を起こしたヒッグス場で発生するものでした。現在の加速器で作ることのできるエネルギー状態は、そこが最大です。

 しかし、ヒッグス場はそのエネルギー状態にだけあるわけではありません。より高いエネルギー状態では、別の値を持つヒッグス場やヒッグス粒子が存在し、真空の相転移を起こすはずです。強い力が枝分かれした二番目の相転移も、今回発見されたものとは異なるレベルのヒッグス場によって起きました。佐藤とグースが考えたインフレーションは、この相転移によるものでした。

 そして、真空の相転移を起こすヒッグスのメカニズムが本当に存在することは今回の発見で明らかになりました。その意味で、これはインフレーション理論の正しさを強く支持しています。

 ヒッグス粒子は、たしかに電子やクォーク(陽子や中性子などを構成する素粒子)などに質量を与えます。ただし、物体の質量がすべてヒッグス粒子に由来するわけではありません。たしかに素粒子の質量はヒッグス粒子が与えていますが、それは陽子や中性子の質量のわずか1%にすぎないのです。

 素粒子は「物質の根源」なので、物質の質量はそれを構成する素粒子の質量の和になると思うでしょう。しかし、実はそうではありません。陽子や中性子の質量の九九%は、強い力のエネルギーによるものです(陽子や中性子を束ねる力のエネルギーが、E=mc^2で質量となっている)。

 だからといって「質量の起源」としてのヒッグス粒子が取るに足らない存在だというわけではありません。素粒子物理学の研究をさらに深める上で、その発見はきわめて重要な意味を持っています。しかし「質量の起源」という面ばかり強調したのでは、この発見の意義が十分に理解されません。宇宙論や宇宙物理学の分野から見れば、この発見は「真空の相転移」という概念を裏づけたことに大きな意義があるのです。

宇宙は無数にあるのか? その2

 「宇宙は“無”の状態から量子重力的効果によって生まれた。この量子宇宙はインフレーションと呼ばれる急膨張をおこし、マクロな宇宙となった。インフレーションが終わるとき、宇宙は激しく熱せられて火の玉宇宙となった。またインフレーション中に存在した量子揺らぎはインフレーションによって引き延ばされ、後に緩やかに成長し銀河団、銀河、星など宇宙の構造になる種となった」

 これは1980年代に、旧来のガモフによるビッグバンモデルの欠陥を補強するために提唱されたインフレーション理論、量子宇宙論によって強化された現代宇宙論のパラダイムである。インフレーション理論は未完ではあるが力の統一理論を宇宙初期に応用することで提唱されたものでした。

 当時、宇宙論の研究はその観測的実証の困難から、どうしても理論的研究が主導する分野でした。無からの創成やインフレーションはそれぞれ宇宙開闢から10^-44秒(プランク時間)とか10^-36秒(大統一理論相転移時刻)に起こったとして提唱されたものであり、そのころに起こった出来事が観測的に実証されることはないと考えるのは当然です。

 しかし、1980年代末から次第に宇宙論の研究は、観測主導の時代に変わっていったのです。もちろん10^-44秒のプランク時間の観測ができるようになったのではなく、現在の宇宙時刻から電磁波で観測できる最も宇宙の初期、宇宙開闢の約38万年後までの観測が爆発的に進むようになったのです。

 宇宙では遠くを観測すれば過去がどんどん見えてくるのです。光や電磁波を使って観測するとき、宇宙誕生から38万年以前の宇宙は高温でプラズマ状態にあり、光はプラズマの電子に散乱されるので、これ以前の初期宇宙は電磁波では写真をとることはできません。

 しかし、透過性の高い粒子や波を使えば、さらに宇宙初期の姿も描き出すことができる。たとえばニュートリノを使えば、宇宙の温度が100億度もある時刻1秒の頃まで見える。ビッグバン宇宙でヘリウムなどの元素が核融合によって形成されるのはもっと温度が下がった、宇宙開闢から3分頃ですが、ニュートリノ望遠鏡ができればこの元素合成の現場を観測できる。アインシュタインの相対性理論の予言する重力波を使えば原理的には、宇宙開闢の瞬間すら見えてくるはずです。

1982年、米国NASAの宇宙背景放射観測衛星COBEによる、宇宙背景放射の揺らぎ、温度の方向によるムラの発見で宇宙が高温で不透明だった時期から透明になった頃の宇宙の姿、開闢から38万年たったころの宇宙の姿を描き出した。そこにはインフレーション理論が予言していた宇宙構造の種、密度揺らぎがクリアに描き出されていたのである。

さらにCOBEの後継機、WMAP衛星が地球からのノイズを避け全天サーベイがしやすい場所、月軌道より遠方のL2ポイントに打ち上げられた。WMAPは2003年に、COBEのほぼ30倍の細かさで地図を作り上げ、そのデータ解析によりさらにインフレーションを裏付けた。このデータ解析の中で、宇宙の年齢が137億年であることを示し、宇宙の年齢もほぼ決まりました。

 2013年、欧州宇宙機関(ESA)によって打ち上げられたプランク衛星によって宇宙背景放射を偏光観測まで含め高感度・高分解能で観測した結果が発表され、インフレーション理論を裏付けました。それと同時に宇宙の年齢が138億年と変更されています。

 プランク衛星の目指すものは、単純な密度の揺らぎの観測のみではなく、実は些細な偏光観測をおこなうことです。インフレーションは宇宙の構造の種となる密度揺らぎだけではなく、時空のさざ波とも言うべき、重力波も生み出します。

 インフレーション理論が正しいのならば現在の宇宙には、それが引き延ばされ、波長が長い宇宙背景重力波が満ちているはずなのです。宇宙背景重力波があると、宇宙マイクロ波背景放射にはBモードと呼ばれる偏光パターンが現れます。

 プランク衛星はこれを観測でとらえることを目指しているのですが、残念ながら2013年のデータ解析では、Bモードに対して上限値を求めることしかできませんでした。しかし、2014年にはさらに精密なデータ解析の結果が発表されることになっています。

 この様な状況の中で、今年2014年の3月に天文衛星の観測ではなく南極の望遠鏡での観測として、BICEP2望遠鏡の観測結果についての発表がなされ、初期宇宙の時空間の量子的な揺らぎを起源とする原始の重力波の存在を世界で初めて確認され、宇宙が誕生直後に急膨張(インフレーション)した証拠を初めてとらえました。

 BICEP2の観測から、このCMBにBモード偏光が見出されたことにより、インフレーション由来の原始重力波が時空をゆがめることにより生じるとされるBモード偏光パターンのデータの精査から間違いなく原始重力波を起源とするCMBの偏光を確認したのです。

 宇宙が誕生した瞬間、驚くほど強力な重力波が広がっていった事実が最新の研究によって明らかとなる「誕生直後に急膨張した」とする「宇宙インフレーション理論」を裏付ける決定的な証拠が、初めて観測されたことになります。

 Bモード観測の重要性は単にインフレーションを裏付けるというだけではなく、実はインフレーションがいかに起こったかを観測によって明らかにすることです。佐藤やグースによって提唱された原初インフレーション理論はそのままでは天文的観測と矛盾したり、また、その根拠となった大統一理論が統一理論としては実験と矛盾したりすることがわかり、いろいろな改訂版が数多く発案されています。

 また、マイクロ波背景放射を経由してインフレーション起源の重力波を観測するということをしなくても、直接重力波をとらえることができるようなら、より直接的なインフレーションの証拠となり、またインフレーションがいかに起こったかの情報が直接得られるはずです。

 現在日本で、神岡鉱山の地下深くに宇宙からの重力波をとらえようとする大型冷却重力波望遠鏡、KAGRAの建設が進んでいて、これが完成すれば、連星が合体しブラックホールができるときに発生する重力波が観測されると期待されています。

 残念ながら、インフレーション起源の重力波はあまりにも波長が長くKAGRAでは検出できませんが、NASAやESAは人工惑星を3個打ち上げ、その間にレーザの光をやりとりする干渉計によってこの重力波をとらえる計画の検討を進めています。

宇宙は無数にあるのか? その1

 1980年に最初に宇宙インフレーション理論を提唱したマサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学者アラン・グースは、「ビッグバンとインフレーションによって誕生した宇宙を、無から有が生じる、ただで何かを得るということで、“究極の無料ランチ”である。そして、マルチバースは、この宇宙で観測されている多くの特異な事柄に、1つの十分に考えられる説明を与える」と述べている。

 また、MITの物理学者マックス・テグマークは、「“混沌とした”インフレーションから生まれたマルチバースにおいて、ビッグバンはほんの始まりにすぎず、そこから数多くの宇宙が誕生し、それらは互いに想像を絶するほどの距離で隔てられている。そして、マルチバースは、おそらくはどこまでも広がっている」とサイエンス誌に書いている。

 それでは、グースと同時期に宇宙インフレーション理論を提唱した佐藤勝彦(自然科学研究機構長)博士は、インフレーションとマルチバースについてどのように考えているのであろうか。

 幸いにも2013年6月に集英社文庫から出版された「宇宙は無数にあるのか」と2013年12月に日経サイエンス社から出版された「宇宙の誕生と終焉」プロローグ記事“宇宙創生から未来へ”の二冊の書籍から拾い出してみることにします。

 二〇世紀前半にハッブルが宇宙の膨張を発見したことで、この世界には「始まり」があることがわかりました。しかし、宇宙がどのように始まったのかは、いまだに謎に包まれています。「宇宙はビッグバンで始まった」と誤解している人もいますが、いきなり「火の玉」が生まれたわけではありません。

 ビッグバンの直前に、インフレーションと呼ばれる急激な膨張が起こりました。これはビッグバンがどのように起きたのかを説明する理論でした。真空の相転移に伴って、膨大な熱エネルギーが放出されたのです。

 したがって、宇宙が膨張しているのは「火の玉から始まったから」ではありません。ビグッバンという大爆発の勢いで現在まで膨張しているかのようなイメージを抱いている人が多いのですが、宇宙はビッグバン以前から膨張を始めていたのです。そもそも、ガモフがビッグバン理論を提唱するまで、宇宙の始まりに「火の玉」が必要だとは思われていませんでした。

 膨張している以上、過去に遡るほど宇宙は小さいので物質の密度は高まりますが、温度は必ずしも高くなくてかまいません。アインシュタイン方程式から「膨張宇宙」のモデルを導き出したフリードマンやルメートルも、初期の小さい宇宙が「熱かった」とは言っていなかったのです。

 ガモフがビッグバン理論を唱えたのも、「小さい宇宙は温度が高かったはずだ」と考えたからではありません。彼は「宇宙初期にあらゆる元索が合成されるにはどうすればよいか」という問題を考えた末に、「火の玉が必要だ」という結論にいたったのです。

 ところが、ビッグバンで作られる元素は宇宙に存在する水素・ヘリウムを主とするごく一部の元素しかあり得ないことがわかりました。にもかかわらず、ビッグバンが起きたことは宇宙マイクロ波背景放射(CME)の発見によっ裏づてけられています。理論の前提は必ずしも正しくはなかったのです。

 物体は温度が高いほど波長の短い光(電磁波)を発するので、もし初期宇宙が超高温の「火の玉」だったのであれば、その空間は波長の短い電磁波で満たされていたでしょう。電磁波の波長は空間が二倍になれば二倍、四倍になれば四倍に引き伸ばされますから、ビッグバンで生まれた電磁波も宇宙が膨張するにつれて波長が長くなります。

 ガモフたちは、それが現在は波長の長いマイクロ波となって、宇宙全体を満たしているはずだと予想しました。これを先述したように「宇宙マイクロ波背景放射」と呼びます。

 そして1964年、アメリカのベル研究所で衛星通信の開発研究をしていたベンジアスとウィルソンが、宇宙のあらゆる方向から飛んでくるマイクロ波を見つけました。当初、二人はそれが何であるか気づかず、ノイズとしか思いませんでした。ところが、連絡を受けたCMBの研究グループが検証してみると、このマイクロ波の波長はガモフたちの予測した数値と一致していたのです。

 この大発見によって、宇宙が「火の玉」から始まったことが裏づけられました。138億年という時間をかけて地球に届くCMBは、いわば「ビッグバンの化石」のようなものなのです。ただし、その光(電波)によって「見える」のは、宇宙誕生の瞬間ではありません。

 宇宙が始まって「火の玉」になったとき、そこで生じた光はまっすぐに飛ぶことができませんでした。というのも、超高温の高エネルギー空間では粒子の運動が活発なので、陽子(水素の原子核)が電子を捕まえることができません。これを「プラズマ(電離)」状態といいます。光は自由に動いている電子にぶつかると散乱してしまうため、プラズマ状態の空間ではまっすぐに進めません。いわば「電子の雲」に閉じ込められた状態になるのです。

 しかし「火の玉」が膨張するにしたがって、空間のエネルギー密度が下がるため、やがて電子は陽子に捕まって水素原子になります。自由に動き回る電子がいなくなると、光はそれに邪魔されることなく直進できる。そうなるまでに、38万年ほどかかりました。

 「電子の雲」が消えて光がまっすぐ進めるようになったので、これを「宇宙の晴れ上がり」と呼びます。光はそのときから宇宙空間をまっすぐに飛び、138億年かけて現在の地球に届きました。それがCMBにほかなりません。つまり私たちはCMBをキャッチすることで、誕生から38万年後の宇宙を見ていることになるわけです。

 そうなると今度は、宇宙の晴れ上がる前の「火の玉」が生まれた理由を考えなければいけません。

 そして、それを急速な膨張の結果として説明したのが、インフレーション理論でした。ガモフのビッグバン理論は、「火の玉」の意味を取り違えていたとはいえ、結果的に「宇宙の始まり」に迫る大きな手がかりを与えてくれたといえるでしょう。

 それ以前の宇宙には水素原子が存在しなかったのですから、当然、星や銀河のような構造物はありません。しかし陽子が電子を捕まえて水素ができると、それまではガスとして漂っていた物質が固まり、星が作られるようになります。
 
 そうなるためには、ガス状に広がった粒子の分布に何らかの濃淡(ムラ)がなければいけません。ガスが均一に広がっていたのでは、お互いの重力が釣り合ってしまうので、固まりはできないでしょう。物質の密度が濃い部分が強い重力で周囲の物質を引き寄せ、それがやがて星になるのです。

 だとすれば、宇宙空間には生まれた瞬間から何らかのデコボコがあったに違いありません。もし宇宙がデコボコのない均質な空間として生まれていたら、星や銀河は作られず、私たち人間も生まれていないのです。

 実は、「インフレーション理論」で、そのデコボコがビッグバン以前に仕込まれていたことを理論的に指摘しています。その理論が正しければ、ビッグバン以前に生じたデコボコはCMBにも反映されます。晴れ上がった宇宙から放たれた光の分布は均一ではなく、ほんのわずかなムラがあるはずなのです。

 1964年にベンジアスとウィルソンがCMBを発見した当時は、まだ観測精度が低かったため、マイクロ波の分布にムラがあることまではわかりませんでした。宇宙の全方向から同じ強さのマイクロ波が届いているようにしか見えなかったのです。

 しかし、2013年3月に、欧州の天文衛星「プランク」の観測による初の宇宙マイクロ波背景放射の全天マップが発表されました。、宇宙誕生からわずか38万年後に放たれた光の波長が伸びて現在マイクロ波として観測され、誕生直後の宇宙に存在したわずかな密度のムラが反映されています。こうしたムラは宇宙誕生直後に起こった宇宙空間の急激な膨張(インフレーション)で大規模に広がり、その後恒星や銀河などの構造が生まれる種となっていると考えられています。

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「プランク」による宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の全天マップ。標準モデルと合致しない温度分布の非対称性(カーブ線)や大規模な低温領域(白い囲み)が見られる(図では着色して強調)。過去の観測でも示唆されていたものが、今回はっきりと確認された。(提供:ESA and the Planck Collaboration)

 今では、この様な観測結果をコンピューター処理することで、物質の濃い部分にガスが集まって最初の星を作り、その星が集まって銀河を形成していくプロセスを見事に再現されています。その研究によれば、この宇宙に存在する銀河は、「蜂の巣構造」になります。

 今後はますます望遠鏡による観測技術が発達し、これまで見えなかった遠い星や銀河が見えるようになるでしょう。宇宙では距離が遠いほど「過去」を見ていることになりますから、これは宇宙の「空間」と「時間」の両方を把握するのに役立ちます。

 しかし科学の世界では、一つの謎が解けると同時に、次の新しい謎が出現します。観測技術の発達によって今まで見えなかったものが見えてくると、今まで見えなかった謎も見えてくるのです。

宇宙初期の重力波の強さ?

 前回のブログ記事は、「大栗博司のブログ」を中心にして、纏めようとしたのですが、さすがに日本を代表する物理学者ですので、理解に苦しむ「数値比」が出現してきます。これについて解説も書き加えておかないとブログ自体の内容が理解不能になってしまいそうです。

 このブログの中に、BICEP2実験の結果「宇宙初期の量子ゆらぎでできた重力波の強さを表す r 比と呼ばれる量が約0.2である」と書いていましたので、r比について書き加えることにします。

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 インフレーション宇宙を検証するCMB偏光の観測は、インフレーション期(宇宙誕生後約10^–38秒の世界)に生成された原始重力波による時空のゆがみは、CMB偏光分布にBモードと呼ばれる特殊なパターンを生成し、その観測は宇宙創生に関する新たな知見を人類にもたらすと期待されてます。

 代表的インフレーションモデルでは、原始重力波の強さに相当するパラメータr(テンソル・スカラー比)に関して、r>0.002という下限が存在し、さらに多くのインフレーションモデルではr>0.01と予言されています。

 今回の観測ではr比が0.2だったので、一般相対論と量子力学を統合するプランク・スケールよりも2桁下です。

 原始重力波の観測に特化する場合、大きな望遠鏡を宇宙空間に持つ必要はなく、宇宙空間における比較的小型の望遠鏡による観測と、今回のように南極の大型望遠鏡による観測の組み合わせで究極の観測が可能になるかも知れません。

 「インフレーション宇宙からの信号の発見」に留まらず「原始重力波の発見」という大発見をも達成出来れば、基礎科学に与える影響は絶大なものとなるでしょう。また、たとえ多くのインフレーション理論の予測と異なり原始重力波が発見されない場合でも、インフレーションのエネルギースケールに上限を得ることができ、究極理論の候補を絞り込むことができるため、宇宙論、素粒子物理学の双方にとって、観測の意義は極めて大きいといえます。


 今回のBICEPチームプロジェクトの観測結果に関連した記事が、3月19日にNational Geographic Newsより「 重力波観測で開く“多宇宙”への扉」として記載されていましたので、このブログに転載します。

「 重力波観測で開く“多宇宙”への扉」
Dan Vergano
National Geographic News March 19, 2014

 ビッグバン後に広がっていった重力波の存在は、我々の暮らす世界が多くの宇宙からなる「マルチバース(多宇宙)」であることを示しているという。

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 というのも、このほど初めて観測された重力波は、初期宇宙の“インフレーション”がとりわけ強力で、多くのものを生み出す現象だったことを示しているからだ。宇宙インフレーションとは、約138億2000万年前のビッグバン直後、ほんの一瞬の間に、初期宇宙が我々の知る宇宙の何倍ものサイズに指数関数的に膨張したとする理論だ。

「インフレーションが起こればマルチバースが生まれることを、ほとんどのモデルが示している」と、スタンフ ォード大学の物理学者で、宇宙インフレーション理論の提唱者の1人であるアンドレイ・リンデ(Andrei Linde)氏は述べる。南極にあるBICEP2望遠鏡を用いた天体物理学チームによる重力波の初観測は、米国時間3月 17日にハーバード・スミソニアン天体物理学センターにおいて発表され、リンデ氏も会場で発言した。

 BICEP2チームの観測結果が裏付けるモデルでは、宇宙の膨張プロセスはあまりに強力なため、1度では終わらず、ビッグバンが始まると繰り返し、さまざまな形で起こる。

「マルチバースは、この宇宙で観測されている多くの特異な事柄に、1つの十分に考えられる説明を与える」 と、1980年に最初に宇宙インフレーション理論を提唱したマサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学者アラン・グース(Alan Guth)氏は述べる。「例えば、生命が存在することなどに」。

◆無料のランチ

 グース氏は、ビッグバンとインフレーションによって誕生した宇宙を、無から有が生じる、ただで何かを得るということで、“究極の無料ランチ”と表現している。

 一方、リンデ氏はそれどころか、宇宙は想像しうる限りの無料ランチを詰め込んだ“バイキング料理”だと考えている。

 すなわち、ビッグバンの後には、我々の知る恒星や惑星に満ちた宇宙から、それよりはるかに多くの次元を有する一方、原子や光子といったありきたりなものが存在しない奇抜な宇宙まで、ありとあらゆる種類の宇宙が誕生したというわけだ。

“混沌とした”インフレーションから生まれたマルチバースにおいて、ビッグバンはほんの始まりにすぎず、そこから数多くの宇宙が(我々の宇宙を含めて)誕生した。それらは互いに想像を絶するほどの距離で隔てられているが、マルチバースは一体どこまで広がっているのか? おそらくはどこまでも広がっていると、MITの物理学 者マックス・テグマーク(Max Tegmark)氏は「Scientific American」誌に書いている。

◆食い違いの謎

「マルチバース理論は好きだが、支持はしない」と話すグース氏だが、それでも、マルチバースが宇宙に関する 多くの説明のつかない事柄を説明できることは認めている。

 例えば、1998年に宇宙の銀河が加速して膨張しているように見えることが発見された。銀河は互いの重力で引き合うため、理論上は膨張は減速するはずだ。2011年にノーベル物理学賞を受けたこの発見は、一般に“ダークエネルギー(暗黒エネルギー)”の存在を示唆するものだと考えられている。ダークエネルギーは宇宙において 重力にさからうエネルギーで、その性質は謎に包まれている。

「我々の計算(したダークエネルギー)と実際の観測結果は、非常に大きく食い違っている」とグース氏は述べる。量子論では、宇宙の真空において素粒子が生まれたり消えたりを繰り返しており、そのことから真空にはエネルギーが与えられているはずだと考えられているが、この真空のエネルギーの理論計算による値は、銀河の観測結果から導き出される値より120桁も大きい。

 しかしマルチバースなら、この食い違いにも説明がつく。インフレーションによって誕生した多種多様な宇宙の中で、我々の住む宇宙はたまたまダークエネルギーが比較的弱い、数少ない宇宙の1つなのかもしれない。

 マルチバースで説明がつく可能性のある謎はほかにもある。それは、“超弦”理論が予測する次元の数だ。超弦理論は、素粒子は小さなエネルギーの弦であるとするものだが、この理論が成立するには、我々が実際に観測している4次元ではなく、11次元が必要となる。これもまた、宇宙が我々の住む宇宙だけでなく、ありとあらゆる宇宙が存在することを示しているのかもしれない。

◆生命と宇宙

 宇宙学者の目から見ると、我々の宇宙は不気味なほど生命に都合よく調整されている。電子を原子に結びつけている力の強さから、重力の相対的な弱さに至るまで、あらゆる物理定数が完璧に調和しなくては、惑星と太陽も、生化学も、そして生命そのものも存在しえない。4つ以上の次元をもった宇宙では、原子は互いに結びつくことができないと、グース氏は指摘する。

 もしも我々の宇宙が、ビッグバンによって誕生した唯一の宇宙なら、これらの生命に好都合な性質が存在することは、ほとんど奇跡のように思える。しかし、無数の宇宙が存在するマルチバースなら、生命に都合のよい宇宙が偶然わずかに誕生していても不思議はなく、我々はたまたまその1つに住んでいるだけなのかもしれない。

原始の重力波、初期宇宙に光!

 米国の東海岸時間の3月17日月曜日の正午(日本時間の18日の深夜1時)にハーバード・スミソニアン天体物理学センターで、BICEP2望遠鏡の観測結果についての発表がありました。

 BICEPとは Background Imaging of Cosmic Extragalactic Polarization の略で、南極点の近くのアムンゼン‐スコット基地に設置された望遠鏡を使い、138億年前の宇宙の始まりに発せられた、宇宙背景マイクロ波輻射(CMB)の偏光の観測を行うものです。南極の基地に設置された望遠鏡が、第2世代のBICEP2です。

 米カリフォルニア工科大などの研究グループが、南極に設置した電波望遠鏡による観測で、初期宇宙の時空間の量子的な揺らぎを起源とする原始の重力波の存在を、世界で初めて確認しました。宇宙が誕生直後に急膨張(インフレーション)した証拠を初めてとらえました。

 宇宙が誕生した瞬間、驚くほど強力な重力波が広がっていった事実が最新の研究によって明らかとなった。「誕生直後に急膨張した」とする「宇宙インフレーション理論」を裏付ける決定的な証拠が、初めて観測されたことになる。

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 私たちの宇宙は、「ビッグバン」とよばれる大爆発で約138億年前に誕生したとされています。誕生時は原子よりもはるかに小さかった宇宙が、光速を超えるスピードで急膨張した。その後で、大量のエネルギーが放出された。「ビッグバン」という言葉は、この放出の瞬間を指す場合と、その前の急膨張の時間なども指す場合があります。

 誕生後約38万年の間は高温高密度のプラズマ状態にあり、電子などの荷電粒子に邪魔をされて、光はまっすぐに進むことができませんでした。しかし、宇宙が膨張して温度が下がり、光を遮っていた電子が陽子と結びついて水素原子になると、宇宙が晴れ上がりました。このときの光が、138億年を越えて現在の私たちまでまっすぐに飛んできたものがCMBです。このCMBには、38万歳の若々しい宇宙の姿が残されているのです。

 CMBは天空全域に広がっており、わずかな温度差から、「宇宙誕生の38万年後に物質がどこで凝縮していったのか」が判明する。また、この温度パターンはマイクロ波の誕生時の状況を現在に伝えるスナップショットとして機能する。CMBの放射後、物質はさらに凝縮が進み、銀河団が生まれて宇宙を満たし、今日に至ているとされています。 研究チームは、今回の観測では重力波を直接観測したわけではなく、CMBに与えた影響をとらえたことになります。

 インフレーション模型は、佐藤勝彦(自然科学研究機構長)と米物理学者アラン・グース博士が1980年代初めに提唱したの理論で、宇宙の初期条件に関する様々な謎を説明する最も有力な理論です。この理論では、ビッグバンの以前に宇宙が指数関数的に膨張した時期があった(10のマイナス36乗秒の間に、宇宙の大きさが10の26乗倍になった)とされています。この指数関数的な膨張によって、宇宙の初期の物質の揺らぎが引き伸ばされて固定される。これを確認したのがCOBE実験だったと解釈されています。

 今回の研究では、インフレーション理論の裏付けとともに、「重力波」の存在を間接的ながらつかめたことにも、大きな意義があります。重力波は、物を引っ張る力である重力が、時空の振動(波)として伝わっていく現象。アインシュタインの一般相対性理論(1915~16年)でその存在が予測され、多くの研究グループが観測に挑んできました。

 一般相対性理論によると、重力を伝えるのは時間や空間の歪みです。この理論を量子力学と組み合わせると、物質だけでなく、時間や空間も量子力学の効果で揺らぐと考えられます。そして、インフレーション模型は、この時空間の揺らぎが、重力波となり、宇宙の晴れ上がりまで伝わってくることを予言します。1990年代の理論的研究により、初期宇宙に重力波が存在すると、それはCMBの偏光にBモードと呼ばれる渦状のパターンを引き起こすことがわかりました。

 CMBのBモード偏光は、原始の重力波以外にも、ビッグバンの後に形成された銀河などの重力によって光の伝わり方が変化することでも起きます。そして、この効果は、すでに南極点望遠鏡でも観測されています。この効果は、南米チリのアタカマ高原で行われているPOLARBEAR実験でも確認されています。原始の重力波の存在を確認したというためには、Bモード偏光からこのような効果をきちんと引き去る必要があります。

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インフレーションからの重力波が、CMBの偏光に「Bモード」と呼ばれるかすかなねじれパターンを生じさせる。黒い線がCMBの偏光方向を示し、ねじれの程度に応じて色付けがされている。(提供:The BICEP2 Collaboration)

 今回のBICEPチームプロジェクトの観測から、このCMBにBモード偏光(偏光:電磁波の振動方向の偏り)が見出されました(画像)。Bモード偏光は、インフレーション由来の原始重力波が時空をゆがめることにより生じるとされるパターンで、3年間にわたるデータの精査から間違いなく原始重力波を起源とするCMBの偏光を確認したのことです。もしこれが正しいとすると、そこには次の4つの意義があると思われます。

(1) 原始重力波の確認は、インフレーション模型の検証になる。

インフレーション模型は、宇宙の様々な謎を説明する強力な理論ですが、これまで決定的な証拠が見つかっていませんでした。原始の重力波はインフレーション模型に特有な予言なので、その存在が確認されれば、インフレーション模型が検証されたことになります

(2) Bモード偏光の観測により、インフレーションの機構が明らかになる。

重力波の強さは、インフレーションを引き起こすインフラトンと呼ばれる粒子のポテンシャル・エネルギーや、インフラトンの変動の大きさと関係があります。原始の重力波を原因とするBモード偏光の性質を調べることで、インフレーションがどのように起きたのか、どのように終わったのかを理解するヒントが得られるはずです。
 
(3) 量子重力の効果の始めての観測である。

重力の理論(一般相対性理論)と量子力学の統合する量子重力理論の完成は、20世紀からの宿題です。超弦理論はこれを達成する最も有望な理論とされていますが、まだ実験的に検証されていません。原始重力波が確認されたのなら、初期宇宙の量子重力の効果が観測できたことになり、超弦理論のような量子重力理論を検証する道が開けたことになります。

(4) 誕生38万年以前の宇宙の姿を見ることができる。

宇宙の晴れ上がりは誕生の38万年後のことでした。その以前には、宇宙はプラズマ状態にあったので、その状態を光を使って直接観測することはできません。しかし、重力波はプラズマに遮られることなく進みます。ですから、重力波の効果を使えば、宇宙の歴史をさらに遡って観測できるはずです。

 BICEP2実験の結果では、宇宙初期の量子ゆらぎでできた重力波の強さを表す r 比と呼ばれる量が約0.2であるとの発表でした。これは、予想されていた値よりも大きく、驚きでした。

 ニュートンの万有引力では、重力の強さは質量に比例します。アインシュタインの理論では、エネルギーと質量は等価なので、重力の強さはエネルギーで決まるといってもよいわけです。ですから、原始の重力波がインフレーションの時期に起きたとすると、重力波の強さはインフレーションのエネルギーの大きさと関係があることになります。

  r 比が0.2であったということは、インフレーションのエネルギーが、ヒッグス粒子の質量をエネルギーに換算したものより14桁も大きい。一方、一般相対論と量子力学を統合するプランク・スケールと比較すると、2桁下です。ですから、これまで素粒子物理学で実験されてきたエネルギーよりはるかに大きく、超弦理論のように一般相対論と量子力学を統合する理論のエネルギーには近いということになります。

 また r 比は、インフレーションを引き起こすインフラトンと呼ばれる場の変動の大きさとも関係があります。r 比が0.2であったということは、インフラトンの変動幅がプランク・スケールよりも大きかったということです。超弦理論からインフレーション模型を導くときには、インフラトンの変動幅がこれほど大きいということは重要な制限になります。今回の結果は、超弦理論の理解にも重要な情報を与えることになりそうです。

 BICEPチームは3年間をかけてデータを解析し、誤差をつぶしてきたそうで、r 比がゼロでない確率(つまり、原始の重力波が存在していた確率)は7シグマだそうです。

 7シグマとは、誤差による間違いの確率が4000億分の1以下という意味で、実験結果が正しい確率が99.99999999974パーセントということもできます。これに対し、2012年にCERNのLHC実験で「ヒッグス粒子と思われる粒子が発見」されたとの発表があったときの精度は5シグマで、誤差の確率は174万分の1でした。BICEPチームの誤差の解析が正しければ、原始の重力波の存在が確認されたことになります。

 原始の重力波の存在はインフレーション模型の重要な予言なので、BICEPの結果が確認されれば、インフレーション模型が検証されたことになります。

宇宙の始まりと終わりはなぜ同じ?

 「宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか」という本が、今年の1月15日に新潮社から出版された。

 著者は、ロジャー・ベンローズその人である。

 ペンローズは、あの「車椅子のニュートン」と呼ばれる天才物理学者として、良く知られているホーキング博士の師匠といわれている。そして、ペンローズが、まだ子供の頃に版画家エッシャーの不思議絵の科学的なヒントを与えた人物としても有名である。

 しかし、ペンローズの本当の専門は「一般相対性理論」で、この理論を駆使した論文をたくさん書いている。そして、彼の最新の理論は、「革命的な宇宙論」であり、その内容の過激さゆえに、物理学者たちを震憾させている。

 この本のペースになった論文は「Proceedings of EPAC」に二〇〇六年に発表されたもので、論文の題名は「ビッグバンの前:ばからしいほど新しい観点と、その素粒子物理学への影響」である。ほぼ、4ページの短い論文の中身が、今回、そのまま一般向けに336ページの本に化けたように思われる。また、ペンローズは自説を「CCC」(Conformally cyclic Gosmorogy 共形・循環・宇宙論)と名づけている。この頭文字をとった略称は、いかにも学者らしい。

 本の題名から察しが付くことですが、この本のスタートから、現代の物理学者を悩ませている難問というか矛盾について熱力学の第二法則を語っています。

 ビッグバンの頃、宇宙は熱くて小さかった。本来、熱くて小さい物体のエントロピーは大きいはずである(おおまかに、整頓された状態はエントロピーが小さく、不規則でばらばらな状態はエントロピーが大きい)。エントロピー増大の法則が正しいのであれば、そもそも宇宙の始まりのエントロピーは小さかったはずである(最初は小さくないと、その後、どんどん大きくなることはできない)。

 ところが、宇宙の始まりを計算してみると、熱くて小さいので、とてもじゃないが、整頓された状態とは程遠い。つまり、宇宙の始まりのエントロピーは大きかったことになる。宇宙の始まりは秩序だっていた(=エントロピーが小さい)のか、それとも、混沌としていた(=エントロピーが大きい)のか?

 この矛盾に対して、なんと、ペンローズは、宇宙の始まりと終わりが「同じ」だと主張する。つまり、この宇宙がどんどん膨張して、薄まっていって宇宙が終わったら、それは実は、宇宙の始まりのビッグバンだというのである。

 宇宙の始まりと終わりが「同じ」だなんて、神話に登場するウロボロスの蛇そのものである。たしかにペンローズが自説を「ばからしいほど新しい」と形容する理由が分かる。しかし、そこはペンローズのこと、単なる思いつきではなく、きちんと納得できる理論的な裏付けが存在するはずである。

 そもそも、アインシュタインの相対性理論では、速く動く物体の時計は光速に近づくに従ってだんだんゆっくり進み、光速で移動する物体の時間は「静止」する。光子のように重さがゼロだと常に光速で移動する。すなはち、光速で動き回る物体にとっては、時間が経つことはない。

 ペンローズは、数学的、物理的な理由から、宇宙の始まりと終わりでは、重さゼロの粒子しか存在しないと論じ、そこでは長さや時間が意味をもたなくなり、物理的に重要なのは「角度」だけになると主張する。長さや時間よりも角度のほうが基本的な意味をもつであろうことは、数学や物理学の世界では、自然と納得できる主張なのである(この角度の重要性が「共形」という専門用語であらわされる)。

 そして、その数学的な同等性を根拠に、ペンローズは、「宇宙の始まりと終わりは同じだ」という驚愕の結論に達する。また、その過程で、宇宙の始まりのエントロピーが小さかったと結論づけるのである。

 つまり、ペンローズが正しければ、われわれは、永遠に循環する「サイクリック宇宙」に棲んでいることになる。


 私は、このブログで、数回にわたりペンローズの新しい宇宙論について書き込んでいます。
 その理由として、「宇宙の始まりと終わりは同じだ」とする考え方こそが、人類の宇宙に対する想いに革命をもたらす可能性があると思っています。それはちょうど、コペルニクスやガリレオが地動説を唱え、人類の宇宙観を変えた状況に似ている。
 いまのところ、ペンローズの主張が正しいのかどうか、誰にも判断がつかないが、コペルニクスやガリレオと同時代の人々も、地球が動いているのか、天が動いているのか、判断がつかなかったはずです。われわれはみな、宇宙の住人である以上、この宇宙の過去と未来についての革命的な主張を知ることは、われわれの住処を知ることにほかならない。
 ペンローズは、数理物理学者なのだから、本来は四ページの論文を書いて、それっきりでもいいはずです。しかし、ペンローズが、難しい数式は全て附録に「押し込め」、あえてこの本を書いた理由は、専門家だけでなく、一般の人々にも自らの革命的な宇宙論について知ってもらいたいと願ったからなのでしょう。

ツイスター+ひも=時空の謎解き

ペンローズの“忘れられた考案”が超ひも理論と結びついて新展開


 ペンローズは1960年代後半,物理学の統一理論を打ち立てるための斬新な「ツイスター理論」を考えついた。空間と時間のなかで粒子がどう運動し相互作用するかを説明しようとするのではなく,空間と時間そのものが,もっと深いレベルの実在から生まれてくる派生的なものなのであると,ペンローズは提唱した。だが,この「ツイスター理論」が広まることはなく,数少ない支持者も概念的な問題で身動きが取れなくなった。他の多くの統一理論の試みと同様,ツイスターは見捨てられた。

 2003年10月,ペンローズはプリンストン高等研究所に立ち寄り,統一理論の有力候補「ひも理論」の第一人者ウィッテンに会った。ペンローズはひも理論を一時的な流行りだと批判してきたので,ウィッテンからそれをとがめられるとばかり思っていたが,忘れられた彼のツイスター理論についてウィッテンが話をしたがっていると知って驚いた。

 その数カ月後,ウィッテンはツイスター理論とひも理論を結びつけた97ページに及ぶ論文を発表してツイスターを復活させ,ひも理論を厳しく批判する人々にも強い印象を与えた。これをきっかけに,理論家たちは空間と時間とは何かを考え直している。そうした研究から,通常の素粒子物理学では非常に難しい問題を簡単に解く計算手法がすでに生まれた。

 ウィッテン論文以前は,ツイスター理論とひも理論の研究者は別々の集団を作り,異なる言語を話しているようなものだった。ペンローズらが一般相対性理論の研究で名をなしたのに対し,ひも理論研究者たちは素粒子物理学の伝統を受け継いでいる。

 オックスフォード大学のメイソンは1987年にペンローズとともにシラキュース大学を訪れた際にひも理論に関する議論を無視したが,いまにして思えば,ひも理論研究者と議論していれば貴重な手がかりが得られたかもしれないとみる。

 「私たちは素粒子物理学のセミナーには行かなかった。相対論研究者だったから」とメイソンはいう。

 ペンローズのもともとの狙いは,量子力学の原理を空間と時間にどのように適用するかを再検討することであった。従来の考え方では,極微の量子スケールでは時空の幾何構造が揺らぎ,事象どうしの関係が変わってくる。だとすると,ある事象を引き起こしたはずの事象がもはや原因ではなくなるなど,タイムトラベル物語に出てくるようなパラドックスが生じる。

 これに対しツイスター理論では因果の順序が第一の基本で,揺らぐことはない(「ひねり回転」を意味するツイスターという名は,自転する粒子の周りの因果関係がどのように見えるかにちなむ)。因果関係が揺らぐのではなく,事象が起こった場所と時間が揺らぐ。

 ツイスター理論の研究者たちはこの考え方を精緻に理論化することはできなかったのだが,ひも理論研究者たちが「時間と位置が曖昧な事象」が1本のひもにほかならないことを示したことで,それが可能になった。

 一方,ひも理論のほうは,空間の生成に関する有望なアイデアがありながら,手をつけられずにいた。ひも理論研究者たちは1997年,「4次元空間を高速で動き回る粒子は5次元空間で相互作用するひもと同じだ」と推測した。この新たな次元は“飛び出す絵本”の絵のように現れるのだが,生じるのは非常にゆがんだ空間次元が1つだけだった。しかし現在までに,ツイスター理論の概念を使って,通常の空間の次元(さらには時間まで)がどのように生まれ出るのかが示された。

 「時空は派生物」という考え方は極めてもっともだと,多くの理論家が認めている。オックスフォード大学のホッジスは,私たちは時空を直接に認識しているのではないと指摘する。届いた情報をもとに,ある事象が特定の時間に特定の場所で起きたと推定しているのである。

 「時空の各点を基本的なものと見なすこの考え方は,うわべだけの偽りだ」とホッジスはいう。実際,重力による時空のゆがみや,よく知られた量子間の“気味の悪いつながり”(量子もつれ)によって,明確な位置と時間の概念は破綻している。


 空間と時間をうまく再構築できるかどうかは別としても,ツイスター理論とひも理論はすでに素粒子物理学者たちから大いに慕われている。

 単純な粒子衝突を記述する場合でも,何万もの項を含む一連の方程式が必要で,それらの項はかの物理学者ファインマンが1940年代に考案した方法に基づいて書かれている。ほとんどすべての項は最終的には相殺されて消えるのだが,どれが消えるかを前もって知ることはできないので,すべての項をゴリゴリ計算しなくてはならない。

 これに対しツイスター理論とひも理論にヒントを得た新方法は,ファインマンの方法が考慮していなかった「対称性」に着目し,計算の重荷となる項を最初から減らす。かつて数学の天才たちもお手上げだった計算が,たったの2~3週間で可能となった。「ファインマンがこれを見たら大喜びするに違いない」とカリフォルニア大学ロサンゼルス校のバーンはいう。

 いま生まれつつある時空の新理論は仮説の段階だし,数学的に非常に難解なので,直接関係している物理学者たちでさえ進展状況を追いきれていないと認める。時空が派生構造にすぎないとしたら,それにもかかわらず私たちにこれほど現実的に見えるのはなぜなのだろうか。理論家たちはまだ説明できていない。

 命のない物質から生命が生じるように,時空もどうにかして形作られるに違いない。その過程がどうであれ,それは原子より小さなスケールだけの話ではありえない。サイズの概念そのものが,時空に伴って出現するのだから。すべてのスケールで,そしてどこであっても明らかであるはずだ。それを見る方法がわかりさえすれば。
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「時間旅行」とは?・・・過去と未来が「今」と繋がっているとすると、過去を替えることが出来るならば、未来も替える事が可能と成るはずです。
地球にとっての、「良き未来」を創るために、「今」を一所懸命に生きて、良き未来を目標として生きてみたいですね。

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